なぜ6割もの小学生が、作文が苦手になってしまうのか?

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小学生で作文が苦手だと答えた子は、作文力.comの調査によると、およそ6割!半分以上の子が、苦手なんですね。

 

大学生でも作文するのが苦手で、まともに文章を書けないという人は大勢います。日本語を使って何年も生活しているのに、どうして書けない人がこんなにも出てくるんでしょう?

 

作文が苦手だという人がこれだけ出てくるということは、もはや個人の能力や努力の問題ではありません。

【目次】

作文の書き方って、習ったことありますか?

 

情緒を重んじる教育

作文の授業でよく言われるのが、感じたまま書きなさい

 

指導になっているようでいて、実は何も指導になっていません。国語の授業で作文する内容も、読書感想文であったり、遠足に行った感想文だったりします。

 

感想文は自分がどのように感じたのかを述べる文章であって、あまり論理的な文章とは言えません。

 

自分の意見を論理的に書かせる練習をさせずに、自分の感想を感じたまま書かせる練習ばかりさせているため、論文やビジネスで使う論理的な文章というものが書けなくなってくるんです。

 

作文なんてセンスだと思い込んでいる

こんな個人の感想を述べさせるような感想文ばかり練習していると、作文を書く方も、それを教える先生も、「作文なんてセンスだろ」と思い込むようになってきます。

 

そうなってくると、自分にはセンスが無いから無理だとあきらめる子も出始めます。美術や音楽であれば確かにセンスは必要でしょう。

 

でも、作文に関してはセンスなんかなくても、やり方さえ押さえれば、誰でもできます。

 

作文はセンスがないと無理という変な思い込みが、作文に苦手意識を持つ子を増やしてしまうんです。

 

そもそも教え方を知らない

作文を教える側の先生も、たいてい作文の教え方を知りません。

 

先生自身も、感じたまま書きなさいと教えられて育った人なので、どうすれば論理的で分かりやすい文章になるのかなんで、ちゃんとわかっていない人が多いでしょう。

 

感想文的な文章の書き方なら教えられるが、論理的な文章の書き方は教えられない。そんな先生が多いようです。

 

最近になって国語の指導要領も変わり、言葉を使って考えるということが重視されるようになってきました。

 

しかし、それ以前には国語教育の目的は、豊かな人間性を育むことに重点が置かれていたようですので、古い指導要領のもとで教えられた人たちには、作文が苦手な人が多くなるわけです。

 

教えている内容は、コミュニケーションではなく国文学

国語の授業では、どのように書けば伝わりやすい文章になるのかということは、ほとんど教えません。代わりにやっているのは、詩や小説を読んだり、感想文を書いたりといったことです。

 

私も大学の講義で、日本語表現法というものがありましたが、やっていた内容は文法や短歌、俳句などでした。レポートや論文なんかの書き方を教えてもらえるのかと思っていたら、内容は実践から外れた学術的なもので、あまり役に立たなかったという経験があります。(大学なんだから、学術的な内容になって当然でしょうが。もっと役立つことを教えてほしかった・・・。)

 

しかも、国語の授業では、人前で意見を言うという練習をほとんどやりません。

 

そのせいもあってか、周囲に同調することが多くなったり、自分の考えを求められてもちゃんと答えられない(特に、大学のレポート課題など)ということが起きます。

 

最低レベルな作文指導

 

感じたまま書けと言っておきながら、感じたまま書くとツッコミがくる

感じたまま書く作文の代表が、読書感想文です。ただ、感じたまま書くと言っても、その通りにやるとツッコミがくることがあります。

 

例えば、「この本は、面白くなかったです」と書くと、そんなことを書くものではないと書き直しさせられますよね。価値観は人それぞれなはずなのに、個性を型にハメようとしてきます。

 

また、単にあらすじだけ書いて、最後に「面白かったです」の一言で終わると、「それだけなの?」みたいな感じになります。

 

しかし、感じたことをどのように表現したらいいのか分からない子にとっては、面白かったですの一言で表現するのが限界です。

 

書き方をちゃんと教えずに、もっと書けるんじゃないのかみたいなことを言うのも、書き方が分からない子に対して負担をかけるだけでしょう。

 

レポート書けない、ビジネスで通用しない

国語教育で一番問題になるのが、コレ!

 

大学のレポート課題は、調べた内容をもとに論理的な文章を書くことを要求されます。

 

しかし、論理的にまとめるということがどういうことなのかを教わっていない人たちは、とりあえず参考にした文献をコピペして、あえなく単位を落としていく・・・。

 

また、ビジネスの現場でも、新入社員の文章力の低さに、頭を悩ませる人も多くいるでしょう。上司やお客様に提出する文章も、論理的で分かりやすいものが要求されるため、変な感想文みたいな文章を書いていると怒られてしまいます。

 

学校の授業では、論理的で分かりやすい文章の書き方はほとんど指導せずに、主観的な感想文ばかりを書かせるので、大学生になったり、社会人になったりしたときに困ったことになるということが起こります。

 

かなりいい加減な段落の区切り方

論理的な文章の書き方を教えないせいか、段落の区切り方までいい加減です。

 

「一つの段落が長くなってきたら、適当なところで改行する」

 

これが、私が小学生の時に教えられた段落の区切り方です。

 

このメチャクチャな段落の区切り方のルールもあってか、最近出版されているビジネス書なんかでは、一文書いたら改行というものも見られます。

 

もはや段落が何なのかすら、よく分かっていないのではと思ってしまいます。(本のページ数を増やせば、その分儲かるということもあるでしょうが。)

 

文章には、起承転結や序破急の論理構成がありますし、段落の中にも同じように起承転結や序破急の論理構成があります。

 

それを完全に無視して、適当な長さのところで切れというのも、おかしな話ではないでしょうか。

 

文法や漢字の使い方は重視するが、論理はあまり重視しない

作文を書いた時によく直されるのが、漢字の間違いや、句点、句読点の使い方などです。

 

作文を書き慣れていない子は、細かいミスをやたらと指摘されるものですから、だんだんと書くのが嫌になってきます。

 

逆に、文章の構成であったり、論理的な考え方なんかは、直されることがほとんどありません。

 

そもそも、論理的な文章などほとんど書かせていないわけだし、文章の構成を直すよりも、漢字や文法のミスを直すほうが楽だからです。こんな文章の直し方をしているものだから、まともに文章の構成を考えることができなくなり、作文が嫌になってくるんです。

 

国語は実はすごく論理的な科目

 

国語の問題は、感覚で答えるものではない

多くの人が持っている誤解に、国語の選択肢問題は感覚で答えるものだということがあります。

 

例えば、登場人物の心境として最も適当なものを、次のア~オの中から選びなさい、という問題です。文章を読んだうえで、「多分これだろう」と感覚で選んでいる人が多いですよね。

 

たいていの場合は、外れることが多いので、自分には国語のセンスが無いと思って、国語が苦手になっていきます。

 

でも、国語はセンスではありません。文章中にちゃんと根拠が書かれてあり、それを読み取ることができれば、正解を選ぶことができるんです。

 

そうでなければ、価値観や感じ方なんて人それぞれですから、誰が解答するかによって、正解が変わってしまいますよね。

 

論理の重要性を説いた予備校のカリスマ講師

予備校の現代文の講師をされていた方で、国語には論理が重要だと説いた人がいます。それが、出口汪先生です。

 

今まで感覚で問題を解いていて、ぜんぜん正解できなかったのが、論理的な問題の解き方によって、現代文の成績が一気に上がったという人も多くいます。

 

私の場合も、論理的な考え方を身につけることで、現代文の成績は上がりましたし、作文もできるようになりました。

 

論理というものを意識するだけで、劇的に変わることができるんです!

 

論理的な言葉を使いこなせなくては、伝えることはできない

論理的に物事を伝えるためには、ちゃんとした言葉を使いこなすことが大事です。

 

「私の考えは、×××です。なぜなら△△△だからです」のように、自分の考えを整理して、他人に伝えられるようにしないと、誰もわかってくれません。

 

単に「面白かった」という言葉だけでは、感動を共有することなんて、できませんよね。ちゃんと自分の考えを、筋道を立てて伝えられるようにしないと、「面白かったんだ。ふ~ん、よかったね」と言われて終わってしまいます。

 

作文が苦手な子が過半数を超える理由

 

感じたまま書けという指導は、理系タイプの子とは相性が悪い

国語には、感情を表現するという文芸としての一面と、思考を整理し、自分の意見を伝えたり、他者の考えを理解したりするというコミュニケーションのツールとしての一面があります。

 

感じたまま書けという教え方は、文芸としての国語に偏った教え方です。

 

なので、理屈で考えるのを得意とする理系タイプの子とは、相性が悪いんです。

 

これこそが、理系で作文が苦手な人が多くいる原因です。

 

普通であれば、作文が好きかどうかのアンケートをとっても、好き、嫌い、どちらでもないの3つが、ほぼ均等くらいになるのが自然ですが、実際には6割の子が嫌いという方に回っています。

 

つまりこれは、今の国語教育に合わない理系タイプの子が、作文が嫌いな方に回ってしまっている結果だと考えられるんです。

 

実際、私自身も理系の出身ですが、大学受験生の時に論理というものを身につけるまでは、作文は大嫌いでした。

 

減点主義的なやり方では、作文嫌いな子を増やすだけ

今の作文の指導のやり方と言えば、とりあえず作文を書かせて、先生がそれを添削するというスタイルです。

 

このやり方だと、書く方としてはせっかく書いた作文に対して、ひたすらツッコミを入れられるわけですから、作文を提出するたびに何か直されてしまわないだろうかと不安になります。

 

その結果、作文の添削指導をたくさん受けるほど、作文に対して苦手意識を持つようになってしまうということもあります。

 

やたらと文芸的な方向に偏った国語教育減点主義の作文指導

 

この二つが、過半数の子が作文嫌いになってしまう原因です。

 

いかかでしたでしょうか?

 

最近の国語教育は、AI時代を迎えたということもあってか、論理的な文章を書く方向へと変わりつつあります。

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