高校生の課題と大学生のレポートはこんなに違う

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

前回の記事では、大学のレポートのまとめ方について書かせていただきました。

 

今回は、高校生のノリで大学生になってしまったという人や、これから大学生になるという人のために、「大学のレポートって、高校の課題とどう違うの?」ということを重点的に解説していきます。

大学ではレポートの書き方など教えてくれない

大学では基本的に、新入生に対して、レポートの書き方など指導しません。

 

大学生になった時点で、もういい年した大人なんだから、自分でなんとかしなさいということになってしまいます。

 

私の時代も、レポートを作成する際の注意点などというものは全く教えてもらえず、とにかく自分であれこれ考えながら書いていたといった感じです。最初に提出したレポートは、高校生の感想文のようなものでした。

 

初めてのレポートということもあり、大目に見てもらえ、単位を落とすことはありませんでしたが、やはり感想文は書くなという注意はありました。

 

ちゃんと最初の講義で、レポートの書き方をちゃんと指導しないから、コピペのレポートで単位を落とす学生さんが多数出るんじゃないのかなと、私は思っています。

 

前置きはここまでにして、大事なポイントを解説していきましょう。

 

大学のレポートを書く上でのポイント3つ

 

①「です、ます調」ではなく、「だ、である調」で書く

レポートとは、いわば報告書のことです。

 

報告書というと、お堅い文章なので、「です、ます調」で書くのではなく、「だ、である調」で書くのが基本となります。

 

使用する文体が高校の時とは違って、かなりお堅いものになるので、注意してください。

 

②自分の感覚で考えるのではなく、事実に基づいて考える

高校生の課題で、何かのテーマについて調べものをしたときには、自分がどう思ったのかについて書くことがあったでしょう。

 

文章も「~だと思いました。」だとか、「~だと感じました。」という書き方をしていたと思います。自分がどのように感じたのかという主観的な部分が入ってくるのが、高校生までの文章です。

 

しかし、大学のレポートでは自分がどのように感じたのかを書くことは、まずありません。以前の記事でも書いたように、レポートではまず問いを立てて情報を集め、その情報を整理・分析し、結論を下します。

 

そして、その文章も「~であると考えられる。」だとか「~であると推測される。」、「~とするのが妥当である。」という書き方になります。

 

あくまで事実に基づいて考えるため、自分がどう感じたのかという主観的な部分はなく、どのようなことがそこから導き出されるのかという客観的な書き方となります。

 

③プライベートなことは書かない

高校でグループでの調べもの学習をしたときには、みんなといっしょに調べていて、こんなところが大変でしたみたいなことを書くことがあると思います。

 

しかし、大学のレポートでは、そんなことは書きません。

 

必要な資料がなかなか手に入らずに大変だっただとか、風邪をひいてしんどかったのをなんとか無理をしてまとめ上げましただとかいうことは、レポートでは不必要な情報です。

 

以前に、後輩の化学実験のレポートを見たことがありますが、そのレポートには、夜中の2時ぐらいまでかかって書いてましただの、そろそろしんどいんで、この辺で書くのを終わりにしますだのということが書かれてました。(自分が見たレポートが、たまたまひどいレポートだった。)

 

実験のレポートに書くべきは、実験で得られたデータや、考察、結論等であって、こんなことを書くものではありません。(こんなん書いてたら、単位落としちゃうよ!)

 

レポートで書くべきは、客観的なことであって、主観的な事ではないと覚えておきましょう。

 

学習と学問の違い

高校までの勉強は「学習」とよばれ、大学での勉強は「学問」と呼ばれます。

 

違いはなんでしょうか?

 

学習は「学び、習う」ことです。学ぶことも、習うことも、どちらも先生から教えてもらうという受け身の要素が濃いものです。高校の授業では、朝から夕方まで規則的に授業が組まれ、生徒は教室で入れ替わりやってくる先生の授業を受けます。勉強に関しても、予備校や通信教育などのように、勉強をサポートしてくれるものがあります。

 

それに対して、学問は「学び、問う」ことです。学ぶことは受け身であっても、問うことは自発的な行為であり、自分で考えて行動するという自主的な要素を含んでいます。

 

大学の講義では、自分で受講する科目を選び、登録をします。時間割も講義が詰まっている日もあれば、スカスカな日もあります。講義のたびごとに、自分で次の講義のある教室に移動します。

 

さらに、塾や予備校のような勉強をサポートしてくれるものは一切なく、全部自分でなんとかしないといけません。もちろん、単位を落としたら、それは自己責任です。誰も守ってくれません。

 

「学習」と「学問」は一文字違いですが、この習という文字が、問という文字に変わっただけで、中身はかなり違ってきます。

 

受け身なのか、それとも、自分の頭で考えて行動するのかという大きな違いがあります。

 

コピペのレポートがばれる理由

コピペのレポートは、結構ばれます。絶対に気づかれないように文章をうまく変えたのに、どうしてばれるのかと疑問に思う人もいるでしょう。

 

高校では、友達の宿題や問題集の答えを丸写ししても、ばれることはほとんどなかったと思います。

 

それは、高校までの勉強は、基本的に答えは一つしかなく、正しく解答されていれば、その答えと一致するからです。ちゃんと解答できていれば、みんなと同じ答えになるので、丸写しでもばれないわけです。ばれてしまうとするならば、間違っている個所が同じで、間違い方も同じという場合です。

 

さすがに、間違い個所や間違い方は人によってバラつくので、これが完全に一致してしまうと、友達のを丸写ししたなと疑われます。

 

一方、大学のレポートはというと、書く人によって内容はかなりバラつきます。

 

大学のレポートでは、まず必要となる情報を集め、それに基づいて考え、結論を出すということは以前の記事でも書きました。参考にしている資料が同じだとか、考え方や結論まで同じだとかいうことは、まずありえません。これが完全に一致してしまうのは、友達や先輩のレポートを丸写しした時です。

 

文章を多少いじったとしても、参考にしている資料、考え方、結論という大枠がすべて一致していれば、コピペをしたということが見抜かれてしまうのです。

 

他にも、ばれる理由はあります。

 

自分の頭でちゃんと考え、自分の言葉で表現していない場合です。

 

大学での勉強は、高校の時とは違い、自分の頭で考えることが中心になってきます。にもかかわらず、自分の頭で考えずに、他人の意見をコピペしてつなぎ合わせただけの状態だと、前後で論理の整合性がとれない部分が出てきたりします。

 

これでコピペしただけの文章だなと、ばれてしまいます。

 

一人の人が書いた文章であれば、論理がちゃんとつながっていないといけません。

 

他にも印刷したときに、文字のフォントが微妙に異なっていて、この部分はコピペだなと分かってしまう場合もあります。文章中に「である調」と「です、ます調」が混在しているというのも、コピペレポートを見抜くポイントです。

 

レポートは一人の人が書くものなので、全体として統一性がないといけません。

 

統一性の無さから、一発アウトになってしまうのです。文章の言い回しを変えたところで、簡単に見抜かれてしまいます。

 

高校生の状態から抜け出そう

レポートで単位を落とす人の多くは、高校生の状態から抜け出せていません。自分の頭で考えるということができていないし、普段からの勉強もぜんぜんやっていないという人がほとんどでしょう。

 

受け身の姿勢から抜け出して、自分で考えて行動するという状態になりましょう!

 

大学には塾や予備校というものはないので、普段からの勉強は全部自分でなんとかしないといけません。

 

「塾や予備校のお世話になりまくっていたせいで、普段自宅では全く勉強しないんです~」という人には、結構つらいかもしれません。

 

そんな人のために、勉強のためのテクニックも公開しています。

 

コチラ→高校とは違う!単位を取るための大学でのノートの書き方

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*