「発達障害」の生きづらさの原因。私がこの言葉を捨てた理由

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最近になって、なにかと話題になることが多くなった「発達障害」。

 

周囲の人とうまくやっていけず、生きづらさを抱える人は、たくさんいます。

 

その一方で、有名人の中には、発達障害の症状を持ちながらも大活躍している人もおり、「これって、本当に障害?」と感じることも。

 

「発達障害の人に問題があるのではなく、不寛容な社会の方に問題があるのではないか」。

 

そう感じた心理カウンセラーである私は、大きく見方を変えることにしました。

この言葉に感じた違和感

大人になってから発達障害だと診断される人は、多くいます。そうはいっても、発達障害は大人になってから発症するというようなものではなく、生まれつきのもの。

 

しかも、発達障害が問題になるのは、主に他者とのコミュニケーションが必要な特定の場面だけです。それ以外の生活の場面では、困るということは特になく、普通の人となんら変わりません。

 

だから、本人が何も公表しなければ、ほとんど気づかれることもありません。中には公表しても、「それくらい、誰だってあるだろ」と全く理解してもらえないことすらあります。

 

そうなってくると、「本当に、これが障害なのか?」と疑問がわいてきます。障害というわりには、おかしな部分がたくさんあることからも、誰かが何らかの意図を持って、これを障害として扱っているのではないかとさえ感じてしまいます。

 

発達障害と聞かされて、二つに分かれる反応

精神科などで診察を受け、発達障害だと診断を受けた際に、反応は二つに分かれます。

 

一つは、自分が今まで周囲の人と違うと感じていた原因が分かってほっとするというパターンです。周りの人が普通にできることが、自分にはできないことに、何か原因があると感じながら長年にわたりモヤモヤしてきた人にとっては、肩の荷が降りた感じがするでしょう。

 

一方で、「障害」という診断をされたことに反発する人も出てきます。今までちゃんと生きてこれたのに、大人になってから障害だと言われることに納得がいかないという人もいます。

 

どちらのパターンになるのかは、もちろん人によります。ただ、自分が発達障害だと分かったとしても、治療してなんとかするというものでもないので、自身の発達障害と一生付き合っていくことになるという点では、どちらも同じです。

 

それって、本当に障害なの?

発達障害の症状というと、じっとしていられない、ミスや忘れ物が多い、こだわりが強いなど、普通の人にも見られるようなものばかりです。これらの症状が、普通の人に比べて強く出て、自分でコントロールするのが難しいというだけです。

 

たんに偏りが大きいというだけで、これを障害だというのには、少しおかしいところがあります。とりわけ、私が疑問に思うのが、次の3つです。

 

有名人にも、特徴を持つ人はたくさんいる

歴史上の偉人、起業家、学者、芸術家など、発達障害の特徴を持つ人は、多くいます。

 

ネット上で調べてみても、あの偉人も発達障害だったのではないかということが書かれてあるサイトもあります。そのような偉人たちは、人並み外れた活動力、発想力、高い専門性を生かして、活躍した人ばかりです。

 

発達障害の人は、よく問題を起こしてしまいますが、周囲に理解者がいて、強みにフォーカスできれば、トラブルも少なくて済むのではないでしょうか。

 

何を基準にするのかで判断は変わってくる

発達障害が「異常」な状態であるとするならば、それと対になる「正常」な状態があります。しかし、正常といっても、何を基準にするのかで変わってきます。

 

通常は平均的な状態が正常であると考えられますが、常に多数派が正常であると考えていいのでしょうか?また、正常と呼べる状態は一つだけという前提がありますが、本当に一つだけと言い切れるでしょうか?

 

ハンター型とファーマー型という言葉がありますが、発達障害の人は獲物を追いかけるハンター型で、それ以外の人は組織で秩序的な行動をするファーマー型と言われています。ファーマーから見れば、やることが雑で、落ち着きのないハンターは、異常に見えるでしょう。

 

基準をどこに取るのかで、何が正常で、何が異常なのかは、コロコロと変わってしまいます。ファーマー型に適した今の社会で、ハンター型の人を異常だと決めつけるのも、さすがにどうなのかという気がします。

 

自然界では、むしろ普通

人間社会では、じっとしていられない、集中できないということは問題視されますが、自然界では、むしろ普通のことです。自然界では、じっとしているだけでは食べ物は手に入らないので、動き回った方が食べ物を見つけやすくなります。

 

また、あまり目の前のことに集中しすぎると、外敵が近づいてきた際に気づくのが遅れてしまい、命に関わることになりかねません。だから、自分の命を守るために、集中力が分散するようになっているわけです。

 

人間社会では異常と判断されてしまうものの、自然界を基準とするなら、正常になるわけです。自然の状態が人間本来の姿であり、文明を発展させて社会を形成しているというのは、不自然なこと。

 

今の人間社会のシステムに合わないからという理由で、すぐに異常であると決めつけるのも、なんだかおかしい気がします。

 

「発達障害」という言葉が持つ問題点

発達障害の人を一番苦しめるのは、症状そのものよりも、「発達障害」という言葉なのではないでしょうか。たかが言葉なんじゃないかと思うかもしれませんが、言葉の使い方一つで結果が劇的に変わってくることもあるのです。

 

私が感じる問題点が、次の3つです。

 

ネガティブなセルフイメージが出来上がってしまう

「障害」というレッテルを貼り付けられてしまうと、それだけセルフイメージは低下してしまい、自分はダメな人間なんだという思い込みが生じやすくなります。

 

教育の世界では、先生が生徒に対して「この子ならできる!」と信じて指導すれば、それに応じて生徒の成績が向上するというピグマリオン効果というのが有名ですが、その逆のゴーレム効果というのもあります。周囲から障害者扱いされることによって、自分はダメ人間なんだという暗示にかかっていき、本当にダメ人間になってしまうこともあるんです。

 

ネガティブなセルフイメージによって、自己肯定感の低下を招いてしまうわけです。

 

ポジティブな面が抜け落ちている

発達障害の人には、著しい能力の偏りがあります。他の人に比べて全くできないことがある一方で、人並み外れてよくできることもあるんです。

 

例えば、簡単な計算は全くできない代わりに、絵を描くのがものすごくうまいという感じです。ネガティブな面だけでなく、ポジティブな面もちゃんとあります。

 

ただ、障害という言葉を使ってしまうと、ネガティブな面ばかりに意識がいってしまい、せっかくのポジティブな面が見えなくなってしまいます。

 

就労支援において、能力に偏りがある人を障害者として扱ってしまうと、人より優れた部分を生かしましょうという発想は、出にくくなってしまいます。これでは、せっかくの人並み外れた能力が生かされません。

 

社会的に見てもマイナス

人並み外れた力を発揮できる可能性があるにも関わらず、障害者扱いされてしまうのは、本人にとって、大きなマイナスです。

 

偉人と言われる人も、子供の頃は、ものすごく手間がかかったという人が多いもの。それにも関わらず、学校や企業は、ひたすら個性を型にはめ込み、イノベーションの芽を摘み取ってしまいます。

 

これでは、社会的に見ても、大きな損失です。

 

もっと他に言い方はないんだろうか

発達障害という言葉を変えて、ありのままを表現した言葉にできれば、生きづらさは、かなり解消できるはずです。このようなネガティブな面しか表現していない言葉では、やたらと誤解を生み出してしまうだけです。「もっといい言葉があればいいのに」と思います。

 

そうは言っても、すでに発達障害の人を支援するための法律もできてしまっています。もちろん、それは障害者として支援するというもの。もっとポジティブな面に光を当てることはできないのかと疑問に感じます。

 

さすがに国が決めたことなので、個人が抵抗したところで、どうにもなりません。小さな活動ではありますが、このブログの中では、これまであった発達障害のカテゴリをなくし、代わりにライフハックとしました。カテゴリ内にあった記事も、発達障害という言葉を削れるものは、とにかく削っております。

 

さすがに「発達障害」という言葉は、広く浸透してしまっているので、完全に使わないというわけにはいきませんが、私のカウンセラーとしての立場は、はっきりさせておきたいと思います。私のカウンセリングでは、発達障害として訪れた相談者の方を、障害者としては扱いません。あくまで自分の能力をうまくコントロールできていない人として扱います。

 

時間や場所の制約もあり、広くカウンセリングを受け付けるということができておりませんが、準備ができれば、このブログ内でもご案内したいと思います。

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